2024年12月28日土曜日

伯方島の塩田跡

遠浅の海が多く晴天率が高い瀬戸内海は古来より日本有数の塩田地帯で、海浜一面に広がる風景は穏やかな瀬戸内の風物詩だった。愛媛県内で最後まで塩田があった伯方島だが、昭和46年に国の管理下で工業的製法で塩つくりをすることが決まり、日本中の塩田が廃止された。現在、塩田跡ではクルマエビの養殖などが行われている。

愛媛県今治市伯方町 江戸~大正時代

2024年12月21日土曜日

別子接待館


別子山中の足谷で最後に拓けたのが小足谷集落で、この接待館は別子山中の中心街であった目出度町の住友新座敷が、小足谷にあった伊予屋支店(泉亭)跡に移動してきたものとされ、要人の宿屋や賓客の接待、職員の懇談会などに利用された。現在は重厚な赤煉瓦壁のみが残り、館跡には杉が植林されている。

新居浜市別子山小足谷 明治期後半

2024年12月14日土曜日

興業舎第二工場ボイラー室

多いときには500人以上が働く今治を代表する綿織物工場だった興業舎。第二工場は昭和18年に東芝今治工場に買収され、昭和25年にはハリソン電機になるが、工場本館、寄宿舎、機械部棟(旧ボイラー室)が興業舎時代の建物を使用していた。平成12年にハリソン東芝ライティングに名称変更、同年に工場本館が取り壊され、ボイラー室のみ残っていたが、平成17年に取り壊された。現在はその煉瓦塀がモニュメントとして残されている。敷地内のため自由に入ることはできないが、県道から見える場所にある。

愛媛県今治市旭町 大正初期

2024年12月8日日曜日

航空服

今日12月8日は、昭和16(1941)年に日本軍がハワイのオアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった「開戦の日」、そこで建物ではないが、個人的な戦争にまつわるものを紹介したい。

来年100歳になる義父が大切に保管していた軍服(航空服)だ。尋常高等小学校を卒業後、兵庫県の川西航空機に徴用され、兵器製造などを担当。初任給95銭で節約して貯金、紫電改などの戦闘機に機銃を取り付けに出張するために給料の一年分以上を支払って購入したものだそうだ。20歳で海軍に所属、駆逐艦に乗りグアムやサイパンに行くが、戦闘には参加することなく終戦を迎えた。高額だったため処分できず現在まで残っていた。

2024年11月30日土曜日

明倫堂土蔵

大洲市の観光駐車場はかつて大洲藩の藩校「止善書院明倫堂」があった場所で、片隅には土蔵が残っている。明倫堂は伊予八藩で最初に設立された藩校で延享4年に開校、明治5年に廃校になるまで大洲教育の中心的役割を担った。道路に面した溝には石垣も残る。大洲藩には古学堂(平成30年の西日本豪雨で被災、今年10月修復完了)という私塾もあり、幕末には北海道函館市にある「五稜郭」の設計者として知られる武田斐三郎などが学ぶなど数多くの偉人を輩出した。

愛媛県大洲市大洲 江戸時代

2024年11月23日土曜日

高尾橋



猪狩川(中山川の支流)に架かる古い橋です。

愛媛県西条市氷見 大正13(1924)年

2024年11月16日土曜日

ぶらり旧大三島町

スナック純 元銀行で、その後スナックとして営業していた。



別所橋 昭和12(1937)年 大山祇神社近くの橋で「べつそうばし」と読む。

愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島・大三島にある大山祇神社周辺の古いものを探してぶらぶら歩いてみた。 

愛媛県今治市大三島町宮浦

2024年11月9日土曜日

佐田岬の軍事施設跡2


佐田岬第二砲台には南北に2門ずつ30センチ榴弾砲が配備されていたが、昭和9年2月に撤去された。弾薬庫の壁には今も色鮮やかな迷彩模様が残っており、砲座には雨水が溜まっていた。

愛媛県西宇和郡伊方町正野 昭和2(1927)年

2024年11月2日土曜日

金本鉄店


昭和初期の代表的流行建材だったスクラッチタイルを全面に張った重厚な外壁。左官は市内の高田左官(当時県内でも有数の装飾技術を持った高田鶴一郎)が請け負っている。現存せず。ちなみに高田左官は現在も市内にあり、建物はスクラッチタイルをはめ込んだ疑洋風建築で、正面を飾る洗い出し仕様やメダリオンなどの装飾技術は見事。鏝絵は高田鶴一郎がコテ1本で仕上げた。

愛媛県八幡浜市大黒町 昭和7(1932)年

2024年10月26日土曜日

天皇堰


上朝倉地区は朝晩の寒暖差があり水もきれいで冷たく、おいしい米がとれることで知られている。その源となっているのが朝倉地域を貫く頓田川だ。頓田川水系には30数か所の井堰が残され、今も地域の農業に貢献している。天皇堰は朝倉を代表する井堰で、現存する石積みは昭和10年代のものとされている。

愛媛県今治市朝倉南 昭和10年代

2024年10月19日土曜日

旧藤本医院



昭和初期に建てられた内科及び外科病院で、二階建ての建物は病院と自宅を併設していた。閉院後長らく空き家だったが、近年改修され現在は古民家モールとして活用。当時の面影が残る診療室や病室には、雑貨店など様々なテナントがオープンしている。写真は改修前。

愛媛県大洲市大洲 昭和10(1935)年

2024年10月12日土曜日

大宮橋




日本一美しいといわれるコンクリートアーチ橋が西条市にある。石鎚登山ロープウエイ乗り場から少し先にある大宮橋だ。橋長42.9m、幅員4mの鉄筋コンクリート開腹式アーチ橋で、アーチリブと道路床板をつなぐ支柱上部の装飾や、支柱間のアーチなどのディティールは、まるでヨーロッパの回廊を思わせる美しさだ。そのデザイン性の高さと歴史的価値が評価され、平成17年に土木学会選奨土木遺産に認定。経年劣化が進んでいたため、令和元年に補修工事(最後の写真)が行われた。

愛媛県西条市西之川 昭和2(1927)年

2024年10月5日土曜日

佐田岬の軍事施設跡1



佐田岬半島にはかつて日本軍の豊予要塞があり、今も戦争遺跡がたくさん残っている。佐田岬灯台への遊歩道の途中には、旧日本陸軍の佐田岬砲台を統括する司令部が置かれ、発電施設と炊事場などがあった。戦後にキャンプ場として転用された。山肌に埋め込まれた探照灯の発電施設は売店になり、給水所や砲台官舎、病舎などがバンガローの位置にあったそうだ。現在バンガローはすべて撤去されている。

愛媛県西宇和郡伊方町正野 大正~昭和

2024年9月28日土曜日

小島港岸壁


今治市の小島といえばまず砲台跡が思い浮かぶが、船着場周辺の石積み岸壁も必見で、布積の岸壁は軍事要塞となる際に造られたもの。2度の芸予地震(明治38年、平成13年)でもビクともしない頑丈な造りとなっている。船着場で目を引くのが28cm榴弾砲だ。これはNHKドラマ「坂の上の雲」撮影のために忠実に復元されたレプリカで、撮影後に松山市を経て今治市が譲り受け、ゆかりの地である小島に設置された。

愛媛県今治市小島 明治32(1899)年頃

2024年9月21日土曜日

ぶらり旧北条市



北条港沖合に浮かぶ鹿島は野生の鹿が生息する小島で、夏は海水浴、冬は釣りなどレジャーが楽しめる。俳優の渥美清さんも北条出身の作家・早坂暁さんとの縁で、お忍びで何度か鹿島を訪れ島内に句碑も残している。渡船を降りた目の前に「大正十五年」「辻町一番組」と刻まれた橋柱があった。詳細は不明。また北条港の近くには北温洋裁学校の建物や農協の古い倉庫があったが、今も残っているかなあ。

愛媛県松山市北条辻

2024年9月14日土曜日

北本呉服店駐車場



この建物は旧愛媛無尽株式会社八幡浜支店大洲出張所で、現在は一階部分が駐車場になっている。ちなみに愛媛無尽株式会社は現在の愛媛銀行の前身。

愛媛県大洲市大洲  大正末期~昭和初期?

2024年9月7日土曜日

赤レンガ通り

現在は八幡浜市に有するが、明治期には鉄鉱山や海運などで栄え、県内初の銀行や、四国初の紡績会社や電灯が点灯されるなどの歴史をもつ保内町。そんな保内町川之石地区を少し歩けば、今も日常の風景の中に赤レンガの外壁があったりして、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。赤レンガは西洋文化の象徴的な建材として取り入れられ、関東大震災までに全国的に広まった。

愛媛県八幡浜市保内町川之石 明治・大正期

2024年8月31日土曜日

安楽湯

以前紹介した永野医院の向かいにあったのが安楽湯。丸窓が特徴的な銭湯だったが、こちらも取り壊されて今はない。ちなみに近くには小松藩に招かれて藩士・領民の教育に尽くした近藤篤山の私邸の一部が近藤篤山旧邸として残り、伊予聖人の生活を今に伝えている。

愛媛県西条市小松町新屋敷 昭和初期?

2024年8月24日土曜日

鶏小島灯台

急流で有名な船折瀬戸に位置し、戦国時代には村上海賊の出城があったとされる。無人島だが終戦間際に初点灯した白灯台が現存し、瀬戸内海の西の守りとして海上交通の案内役を果たしている。ちなみに元旦にこの島に住む金鶏の声を聞くと幸せになれるという伝説が残る神秘の島でもある。

愛媛県今治市伯方町有津 昭和20(1945)年

2024年8月17日土曜日

臥龍醸造


製糸工場「旧程野製糸場繭倉庫」から染物工場や製材所事務所を経て、取り壊す予定だった赤煉瓦倉庫をリノベーションし、現在はクラフトビール醸造所「臥龍醸造」になっている。外壁の赤煉瓦や店内の壁、二階にある大きな梁などは当時のものをそのまま残している。庭には明治21年の大洲城解体の時に譲り受けたとされる銀杏木とメタセコイヤの大木がある。

愛媛県大洲市大洲 明治39(1906)年

2024年8月10日土曜日

遠登志橋



別子銅山から出る排水路橋及び人道橋として架設された。長さ48m、スパン37m、明治時代の鋼アーチ橋で当時の姿を残しているのはこの橋だけといわれている。戦後は新居浜市に寄付されたが、老朽化により平成5年にアーチ橋の補強工事を行うとともに、その上にワイヤーロープ吊り橋が架けられた。2005年に国の登録有形文化財に、2007年に別子銅山関連遺産として近代化産業遺産に選定された。

愛媛県新居浜市立川町 明治38(1905)年

2024年8月3日土曜日

今治城の橋




今治城本丸の西の角にあるのが山里櫓で、山里門と呼ばれる裏門もあり、城外へ出るにはそこから石段を下り、高麗門をくぐって狭い土橋を渡る。この橋は本来は木の橋で、敵が攻めてきたときに落とせるようになっていたそうだ。ここに大正時代の橋が架かっているのを知っているだろうか。橋名は美保喜橋?寿保喜橋?

愛媛県今治市通町 大正4(1915)年

2024年7月27日土曜日

伊予鉄道 道後温泉駅舎

道後温泉駅は明治28(1895)年に「道後」停車場として開業した。明治44(1911)年に建てられた2代目駅舎が老朽化したため、建築部材の一部を再利用し新築復元された。明治時代の洋風建築の外観が美しく、夜間はライトアップされる。

愛媛県松山市道後町 昭和61(1986)年復元

2024年7月20日土曜日

地細工紺屋 若松

文政5年(1822年)創業。現在は5代目が江戸時代末期に建てられた工房で、約200年にわたる伝統の技術を受け継ぎ、旗や幕・織・五月織・印染などの手染めの仕事を続けている。作品は昔ながらの製法で機械を使用せず、手製の道具を使った職人の手作業で行われる。もともとこの辺りは漁業や商業で栄えていて、店の前がメインストリートで建物の裏側には海が迫っていたという。見学も可能。

愛媛県八幡浜市浜之町 江戸時代末期

2024年7月13日土曜日

武内邸



以前は会社から近かったので昼休みの散歩のときよく目にしていた。瀟洒な洋館でずっと気になっていたが、平成26年8月に取り壊されたらしい。詳しいことは不明。なおこの近くに今治城の外堀の石垣の一部が現存する。意外と知らない人が多い遺構だがぜひ後世に残してほしい。

愛媛県今治市東門町 大正時代?