2024年4月6日土曜日

山田社宅群




星越交番

近年の社宅跡

昭和初期に住友別子鉱山の支配人だった鷲尾勘解治が、鉱山依存からの脱却を目指して新居浜沿岸部の工業地帯建設を主導、それまで別子の山中にあった社宅群を徐々に平野部に建設され、すでにあった新居浜選鉱場の横に広がっていた水田を埋め立てて開発されたのが山田社宅だった。生け垣で区切られた庭付き1戸建て住宅で、碁盤の目状に約250戸の住宅が規則正しく並ぶ光景を見たときは、昭和の時代にタイムスリップしたように感じた。さらに駅前には交番や浴場などが建てられるなど、かつて星越地区には数多くの別子銅山の産業遺産があった。現在は別子事業所長宅、西洋人社宅などを残して社宅はすべて取り壊された。星越駅舎は改装され現存するが、その背後の新居浜選鉱場も撤去された。道路を隔ててあった当時の交番もすでにない。

愛媛県新居浜市星越町 昭和4(1929)年

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