2024年6月8日土曜日

共存橋・共栄橋の橋柱


昭和通りに架かっていた二本の橋柱が、自彊舎跡地に移設保存されている。昭和通りが作られた際に、住友の各会社と地域社会が共に発展することを願って、別子銅山の最高責任者・鷲尾勘解治により名付けられた。橋の改修で初代の橋柱はそれぞれ広瀬公園(写真)に保存されていたが、平成27年の自彊舎跡地の整備に伴い菊本町に移設された。

愛媛県新居浜市菊本町 昭和6(1931)年

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