2022年12月31日土曜日

旧大蔵省坂出地方専売局波止浜出張所



波止浜港のそば、現在は新来島波止浜どっくになっているところにあった。建物は木造平屋の寄棟造りで、当時としては異彩を放つ近代的な洋風建築だった。昭和34年に製塩業が廃止され、その後は造船所の倉庫などとして利用されていた。建物の背後に林立する造船所のクレーン群を見ると、この建物だけが時代に取り残されたような感覚にとらわれたものだった。画像は2007年3月に撮影。

愛媛県今治市波止浜 明治41(1908)年

2022年12月24日土曜日

御三戸橋



今から100年前の架橋で、仁淀川上流の面河川と久万川の合流地点にかかる。重複タイプでは愛媛県内で最も古いコンクリート上路アーチ橋。国道33号の付け替えでメインルートからは外れたが今も現役で使われており、近くには名勝として名高い御三戸嶽の軍艦岩がある。

愛媛県上浮穴郡久万高原町上黒岩 大正11(1922)年

2022年12月17日土曜日

三密学園門柱

四国霊場第61番札所の香園寺近くの畑に、立派な門柱一対が放置されています。この門柱は香園寺36代住職の山岡瑞圓師が設立した三密学園の門柱で、山岡氏は戦前に子安大師講をひろめるとともに三密学園や子安中学(小松高校の前身)を創立するなど、教育の普及に尽力された香園寺中興の祖だということです。

愛媛県西条市小松町南川 大正15(1926)年

2022年12月10日土曜日

湯山第一発電所取水堰堤

石手川ダム近くに四国最初の水力発電所の湯山第一発電所が残っている。石畳の場所が石造りの取水堰で、今も農業用として利用されているらしい。

愛媛県松山市宿野町 明治36(1903)年

2022年12月3日土曜日

旧桑折醫院

大正時代に建築された旧桑折醫院が、隣接するこおり小児科の乳幼児デイケア施設として平成13年から利用されています。改装にあたっては大正時代の外観の雰囲気をできるだけ残すよう配慮されています。

愛媛県宇和島市中央町 大正6(1917)年

2022年11月26日土曜日

旧伊予農業銀行郡中支店


大洲藩の商港として栄えた伊予市郡中の町並みの一角に洋館が残されている。擬洋風木造建築のこの建物は旧伊予農業銀行郡中支店で、その後もさまざまな銀行を経て、昭和38年から伊予ショップガイド事務所となり、現在は市民が多目的に利用できる「郡中まち元気サロン来良夢」になっている。玄関前は木製のコリント式の柱、窓は上げ下げ式、開口部には古典様式の装飾が施されている。

愛媛県伊予市灘町 明治44(1911)年

2022年11月19日土曜日

第四通洞


輸送の合理化を図るため水平に地中深く掘られたトンネルで、明治43年に着工し大正4年に開通した。別子銅山の大動脈で4596mだったトンネルは、さらに掘り進められ昭和17年にはおよそ10000mにもなった。アーチ型の堅固なトンネル入口には住友家15代家長の住友吉左右衛門友純氏の筆による「第四通洞」の端正な文字が深々と刻まれている。マイントピア別子内にある。

愛媛県新居浜市立川町 大正4(1915)年

2022年11月12日土曜日

伊予鉄道三津駅



現在の三津駅

松山市郊外の港町・三津浜地区にある四国で最も早く明治21年に開業した駅のひとつ。旧駅舎(2代目)は昭和6年の高浜線電化と同時期に建てられた。風情ある木造駅舎だったが、駅前広場の拡張整備に伴い解体された。現在の3代目駅舎は2代目のデザインを継承して平成21年にできた。ちなみに明治28年に松山に赴任してきた夏目漱石が三津浜港から四国に上陸し、最初に汽車へ乗ったのがこの三津駅だったそうだ。

愛媛県松山市三杉町 昭和6(1931)年

2022年11月5日土曜日

中渡島腕木式潮流信号機



初代(砂場公園)

初代(サンライズ糸山)

2代目(今治港)

腕木式としては国内で最後まで現役を務め、103年にわたり潮の流れと進路を船に伝えてきた。高さ約5m、鉄のアームの両端に取り付けられた丸い赤と四角い黒の表示板が上下に動いて潮流の向きを知らせた。老朽化のため1990年に2代目と交代したが、電光掲示板などの設置が進んだため2011年度末で廃止、撤去された。初代の信号機は撤去後に砂場公園に移設されていたが現在はサンライズ糸山で、2代目は今治港で見ることができる。

大小の島が点在する来島海峡は、潮流が早い国内有数の通航の難所として知られる。潮の流れに応じて原則の右側通航から左側に変える、世界でも珍しい規則もある。隣接するレンガ造りの吏員退息所も当時のものだったが、2代目信号機とともに撤去され、現在は灯台が残るのみとなった。

愛媛県今治市吉海町 明治42(1909)年

2022年10月29日土曜日

志川橋


志河川に架かる志川橋は橋長38.1mで県内の上路充腹アーチ橋では2位の橋長を誇る。国道11号線建設までは上路トラス構造の木造橋だったが、腐食のため解体され現在の鉄筋コンクリート造の橋に付け替えられた。

愛媛県西条市丹原町志川 昭和6(1931)年

2022年10月22日土曜日

旧加藤家住宅主屋


大洲藩加藤家最後の藩主・加藤泰秋の嫡裔にあたる故加藤泰通氏の住居で、大名屋敷の名残である格調の高さが伺える一方、西洋風のモダンさも兼ね備えた建物です。隣には大洲城三の丸南隅櫓が現存、城山とを結ぶ歴史公園「お殿様公園」として整備されています。なお昭和52年8月公開の「男はつらいよ寅次郎と殿様」では、大洲藩主の末裔(嵐寛寿郎)のお屋敷としてロケが行われました。

愛媛県大洲市大洲 大正14(1925)年

2022年10月15日土曜日

牛渕ミュージアム


もとは南吉井信用購買組合の事務所でしたが、のちにミュージアムになりさまざまな作品の展示をしていました。隣には米倉庫があり、喫茶店として使用されていました。2013年ごろ取り壊されたようです。2010年撮影。

愛媛県東温市牛渕 大正~昭和初期

2022年10月8日土曜日

愛媛県教育会館



昭和初期の公共建築で流行った帝冠様式と呼ばれる意匠で、愛媛県内の現存例としては唯一の建物。教職員の研修を目的として建てられた。2階までは縦長の上げ下げ窓など洋風意匠を基調としているが、屋根は日本の城郭風の破風を組み合わせた特徴的な意匠となっている。木造3階建、鉄板葺、国の登録有形文化財。

愛媛県松山市北持田町 昭和12(1937)年

2022年10月1日土曜日

旧芸備銀行新居浜支店

芸備銀行(現広島銀行)新居浜支店として建てられ、後に国民金融公庫新居浜支店になり、昭和43年にマナベ小児科になりました。令和2年6月に閉院したようですが、アールデコ様式の特徴的な玄関、窓などの外観、2階部分の回廊、アールデコ調の内装などは銀行当時のままで、金庫室も残っているそうです。

愛媛県新居浜市西町 昭和6(1931)年

2022年9月24日土曜日

東洋紡績川之石工場跡



宇和紡績(後の東洋紡績川之石工場)は、明治20(1887)年に四国で最初に設立された紡績会社で、明治22年には工場内で自家発電を行い、四国で初めて電灯が灯った事でも知られています。現在残る赤レンガ倉庫は大正時代に原綿倉庫として建てられたものだそうです。その後、紡績業の衰退で昭和35年に工場は閉鎖となり、現在は製材倉庫になっています。

愛媛県八幡浜市保内町川之石 大正時代

2022年9月17日土曜日

野間仁根画伯生家



大島出身の野間仁根画伯は、大正から昭和にかけての洋画家で、明るい色彩の瀬戸内海の油絵を得意とした。18歳で上京後もたびたび帰郷し、好きな釣りをしては故郷の島の風景を描いた。野間家は塩田と海運で財を成した庄屋で、築180年以上の生家が現存する。なお画伯の作品は吉海郷土文化センターで展示、鑑賞できる。

愛媛県今治市吉海町本庄 天保6(1835)年

2022年9月10日土曜日

御幸の橋


河辺地区に8つある屋根付き橋の一つで天神社参道にある。安永2年の架設で坂本龍馬が脱藩の際に渡ったと伝わる橋は明治19年9月の大洪水で流失。現橋は同年、氏子総出で再現されたもので欅材を使用し、屋根は杉皮葺で釘は一切使っていない。傍らに「坂本竜馬の通りし道 俳優 武田鉄矢」と刻んだ石碑がある。県の有形民俗文化財。

愛媛県大洲市河辺町北平 明治19(1886)年

2022年9月3日土曜日

旧宇和町尋常高等小学校 第一校舎


移築した旧小学校の校舎を利用して「米どころ宇和」を紹介している施設で、農作資料などが展示されていますが、近年は109mの日本一長い木造廊下を活かしたぞうきんがけレースが楽しめるとして人気の宇和町米博物館。小学生に戻って長い廊下を思いっきり駆け抜けてみませんか。

愛媛県西予市宇和町卯之町 昭和3(1928)年

2022年8月27日土曜日

岩松橋


建設当時は欄干は鋳鉄で装飾され、中央部にガス灯もあったらしいが、太平洋戦争中に鉄の没収で失ったそうだ。側面にはキーストーンやキャピタルの装飾があった。老朽化のため平成23年に解体され、上流に新しい岩松橋ができている。

愛媛県宇和島市津島町岩松 大正10(1921)年頃

2022年8月20日土曜日

杉野丈助顕彰碑

歩道や壁に陶板を敷き詰めた約500mの陶板の道。その散策路の途中にある陶祖ケ丘には、江戸時代に大洲藩侯の命によって、砥部産の砥石屑を用い焼成を始め、三年の歳月を経て白磁の焼成に成功した陶祖・杉野丈助の功績を讃えた顕彰碑がある。また時代ごとの陶片を埋め込んだ陶壁碑もあり、丘からは砥部町の街並みが一望できた。

愛媛県伊予郡砥部町大南 昭和17(1942)年

2022年8月14日日曜日

旧東予市の奉安殿

奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物で、戦前の学校に必ず設置されていた。戦後はGHQにより廃止され全国から姿を消したが、西条市にはその奉安殿が5つ残っている。今回は旧東予市の2つの奉安殿を紹介したい。

喜多台にある藤森荒魂神社の神明造の本殿は、壬生川小学校にあった奉安殿を取り壊す際に部落が譲り受けて移築したもの。藤森荒魂神社は毎年4月下旬から5月上旬頃に、藤の花が見頃を迎える名所だ。

もうひとつの奉安殿は北条の大気味神社の境内にある。戦後放置されていたものを譲り受け、現在は多賀乃宮として使用されている。あの饅頭でおなじみの「きざえもん狸」の話でも有名な神社でもある。

愛媛県西条市(旧東予市) 昭和10(1935)年代

2022年8月6日土曜日

松山東雲中学・高等学校正門

ミッション系の学校には不釣り合いに見える日本の城郭風の校門だが、背後にある松山城という環境にふさわしい建築をというコンセプトから、アメリカ人のJ.H.モーガンが設計を担当した。松山空襲でも当時の校内で唯一焼失を免れ、戦前の学校を記念するものとして現存している。

愛媛県松山市大街道3丁目  昭和3(1928)年

2022年7月30日土曜日

吉岡泉

川東地区に農業用水を供給するために開発された水源。明治中期に吉岡為造が新造した源泉に、山下市太郎が泉源開発を計画。大原正延を経て、小野寅吉がその遺志を継ぎ尽力、大正10年に完成して通水が行われた。現在は住友化学によって管理されていて立入禁止になっている。

愛媛県新居浜市吉岡町 大正6(1917)年

2022年7月23日土曜日

旧大寿館

かつて丹原町の商店街には料亭が何軒かあり、その中でも大寿館だけは別格で、木造3階建てで内装も立派だったそうです。現在は閉館していますが、建物は当時のまま残っていました。

愛媛県西条市丹原町丹原 大正7(1918)年

2022年7月16日土曜日

旧樋口医院門柱

樋口医院は宇和島市立歴史資料館(旧宇和島警察署)を模した建物だった。現在は正光会広小路診療所となり、正面玄関部にかつての疑洋風建築のイメージを残したガラス張りのビルに建て替えられている。レンガ造りの門は昔のままで残されている。

愛媛県宇和島市堀端町 明治40(1907)年