2020年12月27日日曜日

エントツ山


生子山には明治21年から28年まで山根精錬所があり、煙突は銅の製錬と硫酸製造、製鉄のための排煙設備として作られた。しかし亜硫酸ガスによる農作物への被害や、別子銅山の鉱石に含まれる銑鉄は製鋼には適さないなどの理由で明治27年に休業、翌年に廃止となった。しかし山頂の約18mもある赤煉瓦煙突だけは百年以上もシンボルとして残り、いつからかエントツ山とよばれるようになった

愛媛県新居浜市角野新田町 明治21(1888)年

2020年12月21日月曜日

西条農業高校第二体育館



大正9年の木造建築で、基礎部には煉瓦積の上に花崗岩を使用している。県立西条農業学校が設立した翌年、講堂として建設され、高校の建物としては県内では2番目に古い。今も卓球場として使用されている。

愛媛県西条市福武 大正9(1920)年


 

2020年12月12日土曜日

和田医院旧診療棟

市内中心部に建つ和洋折衷の木造2階建の病院で、今も多くの市民から親しまれています。軒下や棟先などの装飾に、明治時代の洋館の雰囲気が漂っています。外観は竣工当時からほとんど変更されてなく、現存する市内最古の貴重な洋風建築で、平成13年に国の登録有形文化財に登録されました。この辺りは古くから栄えた通りで、江戸時代には川之江陣屋や今治藩陣屋、高知藩邸などがありました。

愛媛県四国中央市川之江町 明治43(1910)年


2020年12月6日日曜日

大下島灯台



急激な流れで有名な難所・来島海峡付近の灯台としては古い歴史を持つ大下島灯台。明治維新まで灯を灯してきた観音崎の常夜燈の廃灯後、明治27年から現在まで夜の水先案内として、1世紀以上も航海の重要な役割を担っています。その姿は自然の海と山に調和し、周囲には海鳥も群れており「みんなの広場」には森繁久彌の詩碑もあります。灯台ファンとしては興味深い白亜の灯台。 

愛媛県今治市関前大下 明治27(1894)年

2020年11月29日日曜日

田丸橋

「田丸橋」は内子町に5つある屋根付き橋のひとつ。麓川の中流域に架かる杉皮葺きの橋として田舎の風景に溶け込んでいます。当初は橋の屋根は耐久性を保つために設けられましたが、時の経過と共に、収穫物の倉庫や地域の集会所として利用されるようになりました。当時の農村風景をとどめるものとしてドラマ「坂の上の雲」のロケ地として選ばれました。内子町の指定有形民俗文化財指定。

愛媛県喜多郡内子町河内 昭和18(1943)年

2020年11月21日土曜日

立花橋


石手川と旧久万街道が交差する地点に架かる立花橋周辺は戦災を免れた事もあり、細い路地とたくさんの住宅が所狭しと並び、どこか懐かしい風景が残っている。

愛媛県松山市立花1丁目 昭和3(1928)年



2020年11月14日土曜日

桜井お台場

幕末に黒船の来航に備えて、全国の沿岸部に海防強化のための砲台を作りました。一般にお台場とよばれ、東京では地名として有名ですが、今治にもお台場は残っています。ペリー来航の2年後に桜井海岸4カ所に砲台を設置するものの、財政難で大砲のかわりに寺院の半鐘が据えられていたそうです。現存する土塁の長さは10m弱で「御臺場」と刻んだ石碑が立つのみ。

愛媛県今治市桜井 1855年(安政5年)

2020年11月7日土曜日

旧石根郵便局

小松町の国道11号線・大頭交差点付近には、大正7年築の旧石根郵便局があります。写真を撮影した頃はすっかり忘れ去られた感のある建物で、いつ取り壊されていてもおかしくないと思っていましたが、現在は改修され綺麗になっているようです。開業当時は周辺に映画館やパチンコ店、農協、飲食店、呉服店などが立ち並び、たいへん賑やかだったそうです。

愛媛県西条市小松町大頭 昭和7(1932)年


2020年10月31日土曜日

大正湯

まず断っておきますが、改装前の写真なので現在はもっと綺麗になっています。大正時代に大正町にできた「大正湯」は100年以上八幡浜の人々の疲れを癒してきた町のお風呂屋さん。設備の老朽化に伴い休業していましたが2016年に改装、レトロな雰囲気を残しつつ快適に利用できる銭湯に生まれ変わっているそうです。

愛媛県八幡浜市大正町 大正5(1916)年頃


2020年10月25日日曜日

港橋


歴史の重さを感じさせるコンクリート桁橋の港橋。親柱の上には高欄部があり、灯りが入るようになっている。土木学会の「日本の近代土木遺産」のひとつにも選ばれている。クラレ西条が近くにあり、ここから川を眺めると水都西条らしいノスタルジックな風景が見られる。

愛媛県西条市朔日市新堀 大正10(1921)年

2020年10月18日日曜日

木屋旅館


明治時代の旅籠の面影が残る「木屋旅館」は、犬養毅や司馬遼太郎をはじめとする数多くの偉人が宿泊した歴史ある宿。1995年に建物の老朽化に伴い惜しまれつつ閉館しましたが、2012年に新しい一棟丸ごと貸し切りの旅館として生まれ変わり、2014年には国登録有形文化財に認定されました。

愛媛県宇和島市本町 明治44(1911)年

2020年10月11日日曜日

旧盛口村駐在所


以前に紹介した旧盛口郵便局の向かいには旧盛口村駐在所がありました。現在は廃墟となっていて詳しいことはわかりません。

愛媛県今治市上浦町 昭和12(1937)年 

2020年10月4日日曜日

内子児童館


神戸居留地の洋式建築物を視察して設計された旧化育小学校です明治14年まで小学校として使われた後は内子郵便局、内子信用組合、内子町農業協同組合として活用され、昭和58年に改築されて児童館となりました。

愛媛県喜多郡内子町内子 明治12(1879)年

2020年9月27日日曜日

角野小学校 石積み観覧席

山根グラウンドの石積み観覧席は有名だが、国領川対岸の角野小学校の校庭の南にもあるのはあまり知られていないようだ。この石積観覧席は山根グラウンドのそれと同時期に造られたようで、観覧席の上側には旧別子銅山鉄道の山根駅があった。

愛媛県新居浜市中筋町 昭和3(1928)年

2020年9月22日火曜日

旧盛口郵便局


上浦町井口に古い郵便局が残されています。鬼瓦に逓信省()のマークが確認できます。現在、建物は使われていないようですが、以前は個人の方がアトリエとして使われていたようです。

愛媛県今治市上浦町 昭和2(1927)年

2020年9月14日月曜日

内之浦公会堂


川之石港の海岸近くにある地域の公会堂。木造二階建て、外観は洗い出し技法が用いられ、軒下と上下スライド窓の上部には飾細工が施されている。公会堂の文字の下には、アカンサスの葉がデザインされており、西洋建築を意識した造りになっている。基礎・台座には花崗岩が敷き詰められており、正面玄関上にはバルコニーもある。内部の天井・柱には太平洋戦争中のグラマン機による銃撃の跡が残り、薬莢玉も保存されている。

愛媛県八幡浜市保内町 昭和12(1937)年

2020年9月6日日曜日

神明橋


塩田の用水路として宮下川に架けられたのが県内では珍しい花崗岩製アーチ橋の神明橋です。昭和56年に道路拡幅により取り壊しになるのに伴い、橋の一部が龍神社の境内に移築保存されました。

愛媛県今治市波止浜 明治42(1909)年

2020年8月30日日曜日

伊予西条駅



伊予西条駅には鉄道開業時の給水塔とカーバイト庫が現存する。鉄道施設群は老朽化もあり、特に人目に触れる事のない建物ほど、取り壊される可能性が高い。しかし西条市は「新幹線の父」と呼ばれる第四代国鉄総裁「十河信二」ゆかりの地であり、エリア内には「四国鉄道文化館 北館および南館」「十河信二記念館」があるので、これら施設がいつまでも保存される事を願う。

2020年8月23日日曜日

西条市観光交流センター

昭和8年に建てられた倉庫を改築し、レトロな雰囲気の漂う西条市観光交流センターは、西条市の観光・産業情報の発信拠点としてさまざまな情報を案内しています。また市内の特産品やお土産、鉄道グッズの販売をはじめ、うちぬき試飲コーナーや石鎚山を紹介するコーナーもあります。

愛媛県西条市大町 昭和8(1933)年

2020年8月16日日曜日

矢野七三郎像台座


今治城の吹揚公園には、今治綿業の発展に尽力した矢野七三郎の功績を称えるため建立された銅像があります。花崗岩の台座は当時のものですが、像自体は太平洋戦争の金属類回収令によって撤去され、現在あるのは戦後新しく再建されたものです。

愛媛県今治市通町 明治44(1911)年

2020年8月11日火曜日

旧宗方小学校



昭和60年に閉校した宗方小学校を利用した宿泊施設が「大三島ふるさと憩いの家」です。教室を改装した客室は大・小15室で、約80名が宿泊できます。食べて、遊んで、観光できる低料金の宿として合宿や研修、家族旅行など長期宿泊も可能。沖に浮かぶ小島、南側に広がるきれいな砂浜と自然環境は抜群。遠くに来島海峡大橋も臨めます。また、映画「船を降りたら彼女の島」のロケ地の舞台になった事でも知られています。

愛媛県今治市大三島町宗方 明治10(1877)年

2020年8月2日日曜日

長浜赤橋


肱川に架かる日本現役最古の跳ね上げ式道路可動橋で、地元では「赤橋」とも呼ばれ、貴重な生活道路で、長浜のシンボルになっている。戦時中の爆撃機からの機銃掃射の跡が現在も生々しく残っている。橋の開閉は、観光用と点検を兼ねて毎週日曜の昼1時に行う。毎年冬には、冷気に霧を伴った強風が肱川を吹き抜ける「肱川あらし」が見られる事でも知られる。平成10年有形文化財登録。

愛媛県大洲市長浜町 昭和10(1935)年

2020年7月26日日曜日

大明神川トンネル



川の下にトンネルが掘られ、鉄道が走るという珍しい「川底のトンネル」が旧東予市にある。場所は伊予三芳駅近くの大明神川トンネル。この辺りは典型的な天井川で周囲の土地が川の堤防より低く、橋を架けると膨大な費用と時間がかかるためこの工法がとられた。ちなみに川底トンネルは全国的に三例しかなく、鉄道ファンなどから注目を集めている。

愛媛県西条市三芳 大正12(1923)年

2020年7月19日日曜日

犬塚池樋門


樋門とは堤防の下を通り抜ける排水・灌漑用の水路のことで、犬塚池樋門は大かんばつ被害を機に完成した。犬塚の由来はその昔、仙遊寺と栄福寺を兼務していた住職が犬を飼っていた。その犬は寺の鐘が鳴った方に走り用事を伝える利口な犬だったのだが、ある日、両方の鐘が同時に鳴ったため、どちらに行けばよいか右往左往するうち池に落ちて溺れ死んでしまった。それを聞いた村人はかわいそうに思い湖畔に犬塚を立ててその後、犬塚池と呼ぶようになった。という話が残っている。

愛媛県今治市玉川町八幡 昭和13(1938)年

2020年7月13日月曜日

旧制松山高等学校講堂


旧制松山高等学校講堂は大正11年の建築で章光堂と呼ばれていました。木造2階建の簡素ながらも美しい建物は、昭和25年に新制愛媛大学文理学部講堂、昭和38年から現在の愛媛大学附属中学校の講堂となり各種行事に使用されています。国の登録有形文化財に指定されています。

愛媛県松山市北持田町 大正11(1922)年

2020年7月4日土曜日

関屋川砂防堰堤群


丹原町の三島神社の参道を分断するように、砂防堰堤(さぼうえんてい)が築かれている。堰堤とは川の水(この場合は土砂)を他に引いたり、流れを緩やかにするために築かれた堤防の事で、簡単にいうと「砂のダム」。約1.2kmの間に高さ約2m、幅約25mの堤防が階段状に55基も並んでいる。70年以上経過した今日でも、その機能を十分果たし、規模や設計技術の面からも、注目に値する歴史的建造物であるといえる。

愛媛県西条市丹原町関屋 昭和7(1932)年~10(1935)年頃