生子山には明治21年から28年まで山根精錬所があり、煙突は銅の製錬と硫酸製造、製鉄のための排煙設備として作られた。しかし亜硫酸ガスによる農作物への被害や、別子銅山の鉱石に含まれる銑鉄は製鋼には適さないなどの理由で明治27年に休業、翌年に廃止となった。しかし山頂の約18mもある赤煉瓦煙突だけは百年以上もシンボルとして残り、いつからかエントツ山とよばれるようになった。
愛媛県新居浜市角野新田町 明治21(1888)年
愛媛県新居浜市角野新田町 明治21(1888)年
愛媛県今治市関前大下 明治27(1894)年
愛媛県喜多郡内子町河内 昭和18(1943)年
まず断っておきますが、改装前の写真なので現在はもっと綺麗になっています。大正時代に大正町にできた「大正湯」は100年以上八幡浜の人々の疲れを癒してきた町のお風呂屋さん。設備の老朽化に伴い休業していましたが2016年に改装、レトロな雰囲気を残しつつ快適に利用できる銭湯に生まれ変わっているそうです。
愛媛県八幡浜市大正町 大正5(1916)年頃
愛媛県西条市朔日市新堀 大正10(1921)年