2020年12月27日日曜日

エントツ山


生子山には明治21年から28年まで山根精錬所があり、煙突は銅の製錬と硫酸製造、製鉄のための排煙設備として作られた。しかし亜硫酸ガスによる農作物への被害や、別子銅山の鉱石に含まれる銑鉄は製鋼には適さないなどの理由で明治27年に休業、翌年に廃止となった。しかし山頂の約18mもある赤煉瓦煙突だけは百年以上もシンボルとして残り、いつからかエントツ山とよばれるようになった

愛媛県新居浜市角野新田町 明治21(1888)年

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