楢本神社境内には本物の戦艦の主砲弾が祀られている。左の大きい砲弾は有名な戦艦「大和」に搭載されていた世界最大最強を誇った46cm砲弾で、右の小さい砲弾が日露戦争でバルチック艦隊を破った旗艦「三笠」のもの。神社内には「神風特別攻撃隊記念館」もあり、九十九式25番の実物や、93式中間練習機(赤とんぼ)のプロペラの実物、25mm機関砲の弾頭、軍服などが展示されている。また太平洋戦争末期に神風特攻隊第一号敷島隊で、特攻死を遂げた西条市出身の関行男隊長をはじめとする五軍神の碑もある。
愛媛県西条市大町
楢本神社境内には本物の戦艦の主砲弾が祀られている。左の大きい砲弾は有名な戦艦「大和」に搭載されていた世界最大最強を誇った46cm砲弾で、右の小さい砲弾が日露戦争でバルチック艦隊を破った旗艦「三笠」のもの。神社内には「神風特別攻撃隊記念館」もあり、九十九式25番の実物や、93式中間練習機(赤とんぼ)のプロペラの実物、25mm機関砲の弾頭、軍服などが展示されている。また太平洋戦争末期に神風特攻隊第一号敷島隊で、特攻死を遂げた西条市出身の関行男隊長をはじめとする五軍神の碑もある。
愛媛県西条市大町
愛媛県西宇和郡伊方町正野 昭和20(1945)年
宮窪町の四阪島にあった「日暮別邸」が、平成30年に新居浜市王子町に移築、現在は日暮別邸記念館として一般公開されている。以前、当ブログで紹介したが、四阪島にあった当時の写真が出てきたのでアップする。日暮別邸は竣工当初は洋館に隣接して小規模な和風の付属棟があり、地階には撞球台を備えた娯楽室、上階には付き人用と思われる二間続きの和室を備えていた。移築されたのは洋館のみで、付属棟は除外された。四阪島は住友の私有地で立ち入り禁止のため、洋上からの撮影であったが今はなき和風の付属棟も確認できる。
愛媛県今治市宮窪町 明治39(1906)年
飛鳥時代創建と伝えられる法安寺。境内には昭和初期に建立された中国の塔をモデルにした五重の塔がある。直径20センチほどの「京美人」を中心に1千株余りのボタンが植えられていて、春には色とりどりの大輪の花が咲き揃うことから「千本ボタンの寺」と呼ばれ、多くの人が訪れる。
愛媛県西条市小松町北川 昭和4~5年建立
愛媛県今治市山方町 年代不詳(戦前?)
愛媛県今治市玉川町鈍川 大正9(1920)年
工藤家軍用地下壕 愛媛県西条市氷見 太平洋戦争中
切川軍用地下壕 愛媛県西条市氷見 太平洋戦争中
昭和16(1941)年頃に建てられた大洲市大洲の旧新田産婦人科が、四国や瀬戸内のものづくりや地域の文化を伝えるアンテナショップ「うなぎの寝床愛媛大洲店」として再生している。また年代は不明だが、同じく大洲市大洲の小谷商店本店は、町角に建つ和洋折衷の建物でコーナー部2階の2本のイオニア式オーダーが特徴。
今治市の南東部に位置する桜井方面の富田地区、朝倉地区の古い建物を紹介する。まず心霊スポットとして有名になった河南病院は、もとの製糸工場を結核の療養施設に転用したため高い煙突が特徴的な建物だった。詳細は不明だが1967年頃にはすでに病院として運営していたようだ。廃院後も建物の中に医療器具や患者のカルテなどが散乱していたため、一気に廃墟の心霊スポットとして注目された。現在は取り壊されている。宮ヶ崎にあった南劇場。かつては演劇や映画で大変な盛況だったが、現在は更地になっている。旧朝倉郵便局は室内に一枚板の長いカウンターがあったそうだ。現在は駐在所が建つ。
愛媛県西条市船屋 昭和戦前
今治市島嶼部、大三島の上浦町。建築年のはっきりしないものや今も現存しているか定かでないものなど、撮りだめていた物件を一気に紹介する。上浦町井口港近くに残るコンクリートの橋脚は、旧陸軍が造ったパイプラインの跡だとか。ちなみに何に使っていたかは不明。
約280年間、日本有数の銅を産出していた別子銅山。掘った坑道は総延長700km、掘った深さは海面下1000mに及ぶ。最盛期には別子山村の山中に12000人が暮らし、300名に迫る児童数を誇る小学校まであり、劇場や醸造所、病院なども造られた。煉瓦造りの煙突が残る小足谷醸造所は、明治3年に醸造を開始し「ヰゲタ正宗」という銘柄の酒を作り、最盛期には年100キロリットルも製造されていた。崩落防止のための補強がされている。