2025年1月18日土曜日

佐田岬の軍事施設跡3



戦時中、敵の軍艦や飛行機を発見するための探照灯(サーチライト)格納壕が椿山に残っている。壕は大小二つあり、コンクリート造りの壁には当時の迷彩模様がうっすらと確認できる。探照灯は台車に乗せて敷設したレールを移動していたそうで、その台車道も残っている。

愛媛県西宇和郡伊方町正野 大正~昭和

2025年1月11日土曜日

ぶらり今治市内

今治市は太平洋戦争の空襲で多大な被害を受け、特に中心部は戦前から残っている建物は非常に少ない。今回はそんな今治市中心部に残る懐かしい建物を紹介したい。詳しい資料がないので、あるいは戦後の建物かもしれないが、ぶらぶら歩いていて目についた風景を集めた。また今治市は、世界的建築家の丹下健三氏の携わった建造物が密集していることでも知られている。どれも戦後復興の象徴ともなった芸術品だ。散歩するときにはこれらも一緒に楽しんでほしい。

中央図書館前

広小路

新町

辰の口公園そば

弥生公園そば

2025年1月4日土曜日

盤泉荘






令和7(2025)年は「昭和100年」にあたる。そこで今年、築100年を迎える名建築を紹介したい。改修整備が2021年に完了し一般公開された旧松井家住宅だ。施主の松井傳三郎、國五郎兄弟は明治から大正にかけてマニラで貿易会社や移民向けの百貨店を経営し、大きな財を成した。故郷の大洲市に別荘を建てようと試みるが、傳三郎が志半ばで他界。その遺志を継いで國五郎が完成させた。住宅は肱川随一の景勝地と称された臥龍や冨士山、亀山など自然豊かな景観を見渡す高台に立地する。当時の日本家屋には珍しいバルコニーや、施主のイニシャル「K.M」が刻まれた鬼瓦、建材には東南アジアから輸入された南洋材、高い天井の和室など随所に西洋建築のテイストが取り入れられている。裏山の岩盤からしみ出す水を利用していたことから「盤泉荘」とも呼ばれた。

愛媛県大洲市柚木 大正15(1926)年

2024年12月28日土曜日

伯方島の塩田跡

遠浅の海が多く晴天率が高い瀬戸内海は古来より日本有数の塩田地帯で、海浜一面に広がる風景は穏やかな瀬戸内の風物詩だった。愛媛県内で最後まで塩田があった伯方島だが、昭和46年に国の管理下で工業的製法で塩つくりをすることが決まり、日本中の塩田が廃止された。現在、塩田跡ではクルマエビの養殖などが行われている。

愛媛県今治市伯方町 江戸~大正時代

2024年12月21日土曜日

別子接待館


別子山中の足谷で最後に拓けたのが小足谷集落で、この接待館は別子山中の中心街であった目出度町の住友新座敷が、小足谷にあった伊予屋支店(泉亭)跡に移動してきたものとされ、要人の宿屋や賓客の接待、職員の懇談会などに利用された。現在は重厚な赤煉瓦壁のみが残り、館跡には杉が植林されている。

新居浜市別子山小足谷 明治期後半

2024年12月14日土曜日

興業舎第二工場ボイラー室

多いときには500人以上が働く今治を代表する綿織物工場だった興業舎。第二工場は昭和18年に東芝今治工場に買収され、昭和25年にはハリソン電機になるが、工場本館、寄宿舎、機械部棟(旧ボイラー室)が興業舎時代の建物を使用していた。平成12年にハリソン東芝ライティングに名称変更、同年に工場本館が取り壊され、ボイラー室のみ残っていたが、平成17年に取り壊された。現在はその煉瓦塀がモニュメントとして残されている。敷地内のため自由に入ることはできないが、県道から見える場所にある。

愛媛県今治市旭町 大正初期

2024年12月8日日曜日

航空服

今日12月8日は、昭和16(1941)年に日本軍がハワイのオアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった「開戦の日」、そこで建物ではないが、個人的な戦争にまつわるものを紹介したい。

来年100歳になる義父が大切に保管していた軍服(航空服)だ。尋常高等小学校を卒業後、兵庫県の川西航空機に徴用され、兵器製造などを担当。初任給95銭で節約して貯金、紫電改などの戦闘機に機銃を取り付けに出張するために給料の一年分以上を支払って購入したものだそうだ。20歳で海軍に所属、駆逐艦に乗りグアムやサイパンに行くが、戦闘には参加することなく終戦を迎えた。高額だったため処分できず現在まで残っていた。