2021年12月25日土曜日

川登水車

太鼓水車とも呼ばれ万年陶石・上尾陶石を砕き、出来上がった陶土を素材として陶工は器を焼いたといわれる。明治以降、砥部川上流の水車は24基にも及び「水車銀座」と呼ばれたが、昭和に入ると共同製土場が設けられ、その数は減少し、川登地区・砥部川沿いに唯一残っていた明治中期に作られた1基も2018年に老朽化のため取り壊された。

愛媛県伊予郡砥部町川登 明治中期


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