遠浅の海が多く晴天率が高い瀬戸内海は古来より日本有数の塩田地帯で、海浜一面に広がる風景は穏やかな瀬戸内の風物詩だった。愛媛県内で最後まで塩田があった伯方島だが、昭和46年に国の管理下で工業的製法で塩つくりをすることが決まり、日本中の塩田が廃止された。現在、塩田跡ではクルマエビの養殖などが行われている。
愛媛県今治市伯方町 江戸~大正時代
遠浅の海が多く晴天率が高い瀬戸内海は古来より日本有数の塩田地帯で、海浜一面に広がる風景は穏やかな瀬戸内の風物詩だった。愛媛県内で最後まで塩田があった伯方島だが、昭和46年に国の管理下で工業的製法で塩つくりをすることが決まり、日本中の塩田が廃止された。現在、塩田跡ではクルマエビの養殖などが行われている。
愛媛県今治市伯方町 江戸~大正時代
新居浜市別子山小足谷 明治期後半
多いときには500人以上が働く今治を代表する綿織物工場だった興業舎。第二工場は昭和18年に東芝今治工場に買収され、昭和25年にはハリソン電機になるが、工場本館、寄宿舎、機械部棟(旧ボイラー室)が興業舎時代の建物を使用していた。平成12年にハリソン東芝ライティングに名称変更、同年に工場本館が取り壊され、ボイラー室のみ残っていたが、平成17年に取り壊された。現在はその煉瓦塀がモニュメントとして残されている。敷地内のため自由に入ることはできないが、県道から見える場所にある。
愛媛県今治市旭町 大正初期
今日12月8日は、昭和16(1941)年に日本軍がハワイのオアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった「開戦の日」、そこで建物ではないが、個人的な戦争にまつわるものを紹介したい。
来年100歳になる義父が大切に保管していた軍服(航空服)だ。尋常高等小学校を卒業後、兵庫県の川西航空機に徴用され、兵器製造などを担当。初任給95銭で節約して貯金、紫電改などの戦闘機に機銃を取り付けに出張するために給料の一年分以上を支払って購入したものだそうだ。20歳で海軍に所属、駆逐艦に乗りグアムやサイパンに行くが、戦闘には参加することなく終戦を迎えた。高額だったため処分できず現在まで残っていた。大洲市の観光駐車場はかつて大洲藩の藩校「止善書院明倫堂」があった場所で、片隅には土蔵が残っている。明倫堂は伊予八藩で最初に設立された藩校で延享4年に開校、明治5年に廃校になるまで大洲教育の中心的役割を担った。道路に面した溝には石垣も残る。大洲藩には古学堂(平成30年の西日本豪雨で被災、今年10月修復完了)という私塾もあり、幕末には北海道函館市にある「五稜郭」の設計者として知られる武田斐三郎などが学ぶなど数多くの偉人を輩出した。
愛媛県大洲市大洲 江戸時代
愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島・大三島にある大山祇神社周辺の古いものを探してぶらぶら歩いてみた。
愛媛県今治市大三島町宮浦