2024年4月13日土曜日

今治市桜井地区

燧灘に面し志島ヶ原を有する今治市桜井地区。菅原道真がこの地に辿り着いたことで、桜井に縁ある「志島」「綱敷」「衣干」の呼び名が生まれた歴史の舞台だ。かつての天領地で御用米を運ぶ港として栄え、廻船業の拠点地となった。廻船業者が各地を巡って漆器を販売するようになると「椀船行商」が始まり、やがて桜井漆器の産地として発展した。そして現在は海老や鯛、蟹など瀬戸内海の豊かな地魚が獲れる港町として、かつての美しい風情を残している。そんな桜井地区に残る懐かしい近代建築を集めた。

旧銭湯



天神橋 大正15(1926)年

個人宅

2024年4月6日土曜日

山田社宅群




星越交番

近年の社宅跡

昭和初期に住友別子鉱山の支配人だった鷲尾勘解治が、鉱山依存からの脱却を目指して新居浜沿岸部の工業地帯建設を主導、それまで別子の山中にあった社宅群を徐々に平野部に建設され、すでにあった新居浜選鉱場の横に広がっていた水田を埋め立てて開発されたのが山田社宅だった。生け垣で区切られた庭付き1戸建て住宅で、碁盤の目状に約250戸の住宅が規則正しく並ぶ光景を見たときは、昭和の時代にタイムスリップしたように感じた。さらに駅前には交番や浴場などが建てられるなど、かつて星越地区には数多くの別子銅山の産業遺産があった。現在は別子事業所長宅、西洋人社宅などを残して社宅はすべて取り壊された。星越駅舎は改装され現存するが、その背後の新居浜選鉱場も撤去された。道路を隔ててあった当時の交番もすでにない。

愛媛県新居浜市星越町 昭和4(1929)年

2024年3月30日土曜日

クラレ西条







春の観桜会の一般公開が有名で、広い構内には約130本の桜が植えられている。新型コロナの影響で2020年から開催中止、2023年に制限付きで復活した。今年はどうなるかわからないが、一緒に観てほしいのが竣工当時から残る建物施設だ。社員食堂は切妻の木造平屋建て、室内は中央を高くした格子状の天井となっており、白い天井に走る茶色のストライプが落ち着きを醸し出し、換気口も洋風のデザインが施されている。また正面入口部分はサンルームになっており、ゴムの木が植えられている。竣工当時の建物で最も規模が大きいのが講堂で木造2階建て、1階外壁は下見板貼り、2階部分はモルタル仕上げ。側面には避難用の滑り台が付けられている。ほかにも渡り廊下や木造平屋など歴史ある建物が現存する。

愛媛県西条市朔日市 昭和11(1936)年

2024年3月23日土曜日

旧須川蚕種工場社屋

須川蚕種製造合資会社は大正4年創業で、昭和18年に廃業した。この工場はその後に現在地に移築された。画像は以前に撮ったもので、現在は八幡浜米穀さんのみここで営業されているようだ。

愛媛県八幡浜市昭和通 大正12(1923)年

2024年3月16日土曜日

三津浜の近代建築

 

入り口には「前田海運株式会社」の表記が…



旧石川医院 現在は個人の住宅のようです。

かつて松山の「海の玄関口」として栄えた三津浜。戦災を免れたため、伝統的な日本の町屋の風景の中に、ノスタルジックで魅力的な建物が残されていて、当時の繁栄の様子がうかがえる。

愛媛県松山市三津 大正~昭和初期

※写真は古いものなので現在の様子はわかりません。また個人宅もあるので見学の際にはご配慮を。

2024年3月9日土曜日

旧宮窪郵便局


今治市役所宮窪支所(旧宮窪町役場)前にある旧宮窪郵便局。詳しいことは不明だが、郵便局の後は保険会社の事務所や学習塾などとして使われていた。  

愛媛県今治市宮窪町宮窪 大正時代

2024年3月2日土曜日

旧上浮穴農林高等学校知今堂



地元の篤志家・船田一雄の寄付によって、上浮穴農林学校の講堂として建てられた愛媛県立上浮穴高等学校の講堂で、今も知今堂の愛称で親しまれ、卒業式や入学式など学校行事が行われている。木造の校舎が老朽化などが原因で年々姿を消す今日において、林業の町ならではの貴重な地元遺産として大事に残してほしい。

愛媛県上浮穴郡久万高原町 昭和19(1944)年