2021年12月25日土曜日

川登水車

太鼓水車とも呼ばれ万年陶石・上尾陶石を砕き、出来上がった陶土を素材として陶工は器を焼いたといわれる。明治以降、砥部川上流の水車は24基にも及び「水車銀座」と呼ばれたが、昭和に入ると共同製土場が設けられ、その数は減少し、川登地区・砥部川沿いに唯一残っていた明治中期に作られた1基も2018年に老朽化のため取り壊された。

愛媛県伊予郡砥部町川登 明治中期


2021年12月18日土曜日

岩堰橋

橋長18.2m、幅員1.4mで通称「あかばし」と呼ばれている。歩行者・自転車専用橋だが、散策する人や地元の人の足として利用する人は意外に多い。ここは江戸時代に松山城の城下町を洪水から守るために切り開かれた場所で、今も残るノミの跡は当時の難工事を物語っている。平成15年には景観形成重要建造物指定、近代土木遺産にも認定された。

愛媛県松山市石手1丁目 大正13(1924)年


2021年12月12日日曜日

旧宇都宮壮十郎邸


宇都宮壮十郎氏は、愛媛県初の国立銀行設立に関わり、宇和紡績の経営や佐田岬半島にあった鉱山経営で財をなした人物。丸みを帯びた「むくり屋根」が外観に重厚な印象を与えている。白漆喰造りの和風の外観だが、小屋組みにはトラス構造を採用、屋内には暖炉もある和洋折衷の建物だ。旧白石和太郎邸洋館の隣にある。

愛媛県八幡浜市保内町川之石 明治34(1901)年

2021年12月4日土曜日

ヤマキ旧社屋

大正5年に岡部仁左衛門(彌満仁)が名古屋から削節機を購入して製造を開始、次いで大正6年に城戸豊吉(ヤマキ)が創業、大正7年に明関友一(マルトモ)が創業しました。この3軒がお互いに切磋琢磨して、協力しあいながら伊予市を「削り節の町」と言われるまでに盛り上げました。そんな当時を物語る遺構として「ヤマキ旧事務所」壁が、ヤマキ本社の一角にモニュメント的に残されています。

愛媛県伊予市米湊 昭和10~12年頃