波止浜塩田は長谷部九兵衛が竹原で塩田の技術を学び、塩田を興したのが始まりと伝わる。現在その跡地は自動車教習所やゴルフ練習場、スーパー、住宅地などにかわり、塩田だったころの面影はほとんどないが、水路の中に堤防石垣と雁木が残る。雁木とは接岸する場所に設けた階段のことで、昭和初期までこの運河を塩や燃料石灰をのせた船が往来していたそうだ。愛媛県今治市中堀 昭和初期?
別子銅山の大動脈だった第四通洞を出た目の前にある足谷川を横断するためのトラス橋。この四通橋を通り、多くの鉱夫が作業に向かい鉱石が運び出された。第四通洞は別子銅山の坑内水を一括して坑外に排出する排水路としての役目も兼ねており、この四通橋を利用して山根収銅所、惣開を経て瀬戸内海へ放流されていた。愛媛県新居浜市立川町 大正8(1919)年
太平洋戦争以前に作られた四国最初の本格的な防空壕が八幡浜市に残っている。八幡浜市では大規模な空襲はなかったものの、何度か米軍機の機銃掃射などで市民の退避に使われた。また病院の薬品庫としても利用された。戦後、壕の前に貝ボタン工場が建てられ、忘れられた存在になっていたが、平成13年に撤去され壕の入り口が再び姿を現した。現在は住民有志が協力して管理して、見学希望者に開放してくれている。戦後78年が経ち戦争遺産が風化してゆく中、次の世代に語り継ぎたい「もの言わぬ語り部」である。愛媛県八幡浜市松本町 昭和16(1941)年
四国霊場第61番札所の香園寺参道に架かる小さな橋が子安橋です。香園寺の別称が子安大師なので、この名前になったようです。香園寺には四国霊場には珍しいコンサートホールのような大聖堂があり、無事な出産や子授かりを祈願する参拝者が多数訪れています。愛媛県西条市小松町南川 昭和4(1929)年
宇和島市内中心部に残るいずれも詳細は定かでないが、木屋旅館の隣にあるレトロな建物。一棟の建物が左右で異なる意匠の別の店で、向かって右はAndorinoという珈琲店だったが、左(岡花店)は空き家のようだった。道路を挟んだ向かいには井上呉服店があった。愛媛県宇和島市本町追手
昭和11年に砥部尋常高等小学校の講堂として建てられ、その後武道館として平成23年頃まで存在したように記憶している。現在跡地には「念ずれば花ひらく」で知られる詩人・坂村真民さんの記念館が建っている。愛媛県伊予郡砥部町大南 昭和11(1936)年
今治地方で最初にできた水力発電所で、同年12月から送電を開始。取水口は横山で水路で三島神社の拝殿の近くまで引き、そこから川原まで鉄管で落し発電機を回した。有効落差約18m余りで発電量は180kw。今治及び越智郡陸地部に供給されていた。現在の四国電力の前身で、水路と鉄管を取り付けた石垣の台が残っている。今治市玉川町長谷 明治40(1907)年