明治33年に南予鉄道が伊予鉄道に合併し、明治43年に郡中線として営業を開始、現在の駅舎が完成した。待合室には木製椅子が置かれ、竿縁天井の意匠にも工夫が見られる。またホームには貨物があった当時の引込み線跡も残っている。のどかな田園地帯の中に佇む、数々の歴史の証が随所に見受けられる木造平屋の私鉄駅だ。 愛媛県伊予郡松前町 明治43(1910)年
加茂川の支流・御塔谷にかかる桁橋。石鎚登山ロープウェイ乗り場から約500m先にあり、近くには大宮橋もある。愛媛県西条市西之川 昭和11(1936)年
県内最古の現役木造校舎であり、木造学校建築の原型がわかるものとして建築的価値が高い。また同時代の木造小学校の中では洋風建築としてデザインが優れており、地理的風土的な配慮が行き届いた配置計画がなされている。木造校舎として全国初の環境省所管「学校エコ改修と環境教育事業」のモデル校として、平成18年度に採択され現在の姿に改修された。翠地区の象徴的な存在として、地域住民にも愛され続けている。愛媛県伊予市双海町上灘 昭和7(1932)年
一般にノコギリ屋根の工場は木造が多く、レンガの壁面は珍しい。創業当時は中央染工という捺染工場で、北側ガラス面から光をとり入れ、日中の工場内の明るさを変動が少なく均一にできることから、繊維工場などで広く採用されていた。今では冷暖房効率が悪いことなどからノコギリ屋根が新設されることは少なく、全国にあった工場も老朽化により次々と解体されている。愛媛県松山市立花 大正13(1924)年
波止浜塩田は長谷部九兵衛が竹原で塩田の技術を学び、塩田を興したのが始まりと伝わる。現在その跡地は自動車教習所やゴルフ練習場、スーパー、住宅地などにかわり、塩田だったころの面影はほとんどないが、水路の中に堤防石垣と雁木が残る。雁木とは接岸する場所に設けた階段のことで、昭和初期までこの運河を塩や燃料石灰をのせた船が往来していたそうだ。愛媛県今治市中堀 昭和初期?
別子銅山の大動脈だった第四通洞を出た目の前にある足谷川を横断するためのトラス橋。この四通橋を通り、多くの鉱夫が作業に向かい鉱石が運び出された。第四通洞は別子銅山の坑内水を一括して坑外に排出する排水路としての役目も兼ねており、この四通橋を利用して山根収銅所、惣開を経て瀬戸内海へ放流されていた。愛媛県新居浜市立川町 大正8(1919)年
太平洋戦争以前に作られた四国最初の本格的な防空壕が八幡浜市に残っている。八幡浜市では大規模な空襲はなかったものの、何度か米軍機の機銃掃射などで市民の退避に使われた。また病院の薬品庫としても利用された。戦後、壕の前に貝ボタン工場が建てられ、忘れられた存在になっていたが、平成13年に撤去され壕の入り口が再び姿を現した。現在は住民有志が協力して管理して、見学希望者に開放してくれている。戦後78年が経ち戦争遺産が風化してゆく中、次の世代に語り継ぎたい「もの言わぬ語り部」である。愛媛県八幡浜市松本町 昭和16(1941)年