2023年12月30日土曜日

千歳橋


毎年新年には大勢の参拝客が訪れる満願寺。その参道の頓田川にかかる橋で、唐草模様のアーチ看板が目を引く。なお満願寺は天平年間の創建といわれ、境内には多くの文化財があり、桜の名所としても親しまれている。現在、アーチ看板は撤去されている。

愛媛県今治市朝倉下 昭和8(1933)年

2023年12月23日土曜日

愛媛地方航空機乗員養成所




昭和13年に逓信省が当時の周桑郡吉井村中山川西側付近の約32万坪を埋立飛行場建設工事に着手。昭和15年に完工し、昭和17年に愛媛地方航空機乗員養成所として開所した。戦争激化によりその後、海軍の搭乗員養成所となる。終戦後は塩田を経て、昭和36年に小松ゴルフ場になったが、敷地内には給水塔、国旗掲揚台、防空壕、更衣室、戦闘指揮所などの建造物が残り、芝生上に兵舎や官舎の基礎跡も確認できた。平成26年に小松ゴルフ場閉鎖、現在跡地は大規模太陽光発電所になっている。

愛媛県西条市氷見 昭和17(1942)年

2023年12月16日土曜日

梅錦山川主屋・仕込蔵


川之江から高知に抜ける旧道に西面して建つ愛媛県を代表する造り酒屋の店舗兼住宅主屋。重厚かつ広大な家屋は、仕込蔵とともに地域のランドマークとなっている。

愛媛県四国中央市金田町 明治中期

2023年12月9日土曜日

岩城中学校の石垣と門柱


現在の上島町立岩城中学校の立派な石垣と正門の門柱は、明治36年に岩城尋常高等小学校の校舎ができたときに造られたもの。大島が近いせいか花崗岩がふんだんに使われている。

愛媛県越智郡上島町岩城 明治36(1903)年

2023年12月2日土曜日

宿野々橋


奥道後の上流、石手川の渓谷にひっそりとたたずむ。上路式開腹アーチ橋では県内5番目の古さ。長さ25.4メートル、幅員4.5メートル。アーチの支柱にもアーチを配置、細かなところにも気を配った美しいデザイン。下流には湧ヶ淵がある。石手川ダムができるまではこの道が日浦地区に行くメインルートで、交通の要衝だったそうだ。

愛媛県松山市宿野町 昭和5(1930)年

2023年11月25日土曜日

旧八木亀三郎邸






日本の実業家で八木商店の経営者である八木亀三郎は、蟹缶詰の製造量日本一を誇った蟹工船のオーナーとして知られ、愛媛県で一番の高額納税者になったこともある。蟹御殿と呼ばれた店舗兼住宅は、総敷地面積1276坪(裏山回遊式庭園含む)、屋敷は床面積238坪もある広大な近代和風建築で、亀三郎の死後に売却し、平成30年からは「八木商店本店資料館」として一般公開されていたが、現在は休館している。

愛媛県今治市波止浜 大正7(1918)年

2023年11月18日土曜日

予讃線・加茂川橋梁

伊予西条~石鎚山間にかかる5連のトラスが美しい鉄道橋。250m以上もある加茂川を渡るため、予讃線では珍しい下路プラットトラス橋が用いられた。

愛媛県西条市 大正12(1923)年

2023年11月11日土曜日

旧川之石浦庄屋二宮家住宅石塀


この地域で産出される青石の自然石を鋭角に積む「落としづき」という技法で作られた、現在では新造や再現が困難な貴重なもので防火用に設置された。平成14年に国登録有形文化財に登録されている。また土蔵は文久2(1862)年に建築された旧川之石庄屋跡で、3mを超える青石の灯籠と井戸が残り、藩政時代に庄屋を務めた「二宮家」の歴史を今に伝えている。

愛媛県八幡浜市保内町川之石 江戸時代末期

2023年11月4日土曜日

旧端出場水力発電所



マイントピア別子の対岸にひっそりと佇む赤レンガの建物が、工業都市・新居浜の基盤づくりに大きな役割を果たした別子銅山の旧端出場水力発電所だ。端出場の急斜面を生かした水力発電所で、東洋一の597m落差の水圧鉄管を使用して当時世界一と言われた20㎞の海底ケーブルで四阪島製錬所まで送電を行った。煉瓦造りのモダンな建屋外部、内部には当時最新鋭だったドイツのシーメンス社製の発電機も保存されている。平成30年度から耐震補強など改修を行い、現在は一般に公開されている。国の登録有形文化財。写真は改修前。

愛媛県新居浜市立川町 明治45(1912)年

2023年10月28日土曜日

旧内子警察署



白壁の街で有名な八日市・護国地区にある旧内子警察署は、昭和レトロな木造2階建の擬洋風建築物だ。昭和55年から平成15年まで内子町立図書館として、その後はイベントなどに使われていたが、平成25年からは内子町ビジターセンターとして再生。内子の旬な見どころや穴場スポットなどをスタッフが丁寧に対応してくれる総合観光案内所と休憩所になっている。2階は町民による展示会や写真展などが行われている。

愛媛県喜多郡内子町内子  昭和11(1936)年 

図書館だったころ

2023年10月21日土曜日

旧石崎船渠造船所(現角田造船所)第二工場ドック


現在の角田造船所には、明治末期に建造された石造りのドライドック(乾船渠)が二基残されている。当時すでに県内には波止浜船渠造船所にドライドックがあったが、石崎船渠造船所創業者の石崎金久は、波止浜に次いで海運や造船の盛んだった三津浜に近代的な造船設備のドライドックを導入したという。今なお現役で活躍する施設であり、愛媛の近代化産業遺産に認定されている。

愛媛県松山市港山町 明治末期

2023年10月14日土曜日

遊子水荷浦の段畑


「耕して天に至る」と形容される遊子水荷浦の段々畑は、山の急斜面に石垣を積み上げて造られた階段状の畑地だ。頂上は海抜80mにも及び、下から見上げるとまるで天に上る階段のようだ。陽当たりがよく石垣の温熱効果で作物がよく育つといわれ、眼前に広がる宇和海の美しさと相まって人々の知恵が造りあげた景観美で、「日本農村百景」や「国の重要文化的景観」にも選定された。まさに絶景である。

愛媛県宇和島市遊子 江戸時代

2023年10月7日土曜日

星越の西洋人住宅


別子銅山の煙害問題を解決するため雇い入れた外国人技術者のために建てられた西洋住宅2棟が今も残っている。外国人でも住みやすいよう、タイル張りの台所にサンルームやバルコニーもついた豪華な2階建て住宅で、当時は平屋だけだった山田住宅の中にあって異彩を放っていた。のちに若手社員の寮になっていたが、現在は新居浜市に寄贈されている。ぜひ一般公開してほしい。

愛媛県新居浜市星越町 昭和14(1939)年

2023年9月30日土曜日

加茂橋

毎年10月第3日曜日に行われる「お供馬の走り込み」で有名な菊間町の加茂神社参道入口にかかる桁橋。お供馬の走り込みは県の無形民俗文化財の指定を受けた伝統行事で、祭用の鞍や装飾具を着けた馬に、3歳から15歳までの少年が乗子(騎手)となり「ホイヤー、ホイヤー」の勇ましいかけ声とともに300mの参道を駆け抜ける。

愛媛県今治市菊間町浜 昭和10(1935)年

2023年9月23日土曜日

伊予鉄道岡田駅


明治33年に南予鉄道が伊予鉄道に合併し、明治43年に郡中線として営業を開始、現在の駅舎が完成した。待合室には木製椅子が置かれ、竿縁天井の意匠にも工夫が見られる。またホームには貨物があった当時の引込み線跡も残っている。のどかな田園地帯の中に佇む、数々の歴史の証が随所に見受けられる木造平屋の私鉄駅だ。 

愛媛県伊予郡松前町 明治43(1910)年

2023年9月16日土曜日

御塔谷橋


加茂川の支流・御塔谷にかかる桁橋。石鎚登山ロープウェイ乗り場から約500m先にあり、近くには大宮橋もある。

愛媛県西条市西之川 昭和11(1936)年

2023年9月9日土曜日

伊予市立翠小学校


県内最古の現役木造校舎であり、木造学校建築の原型がわかるものとして建築的価値が高い。また同時代の木造小学校の中では洋風建築としてデザインが優れており、地理的風土的な配慮が行き届いた配置計画がなされている。木造校舎として全国初の環境省所管「学校エコ改修と環境教育事業」のモデル校として、平成18年度に採択され現在の姿に改修された。翠地区の象徴的な存在として、地域住民にも愛され続けている。

愛媛県伊予市双海町上灘 昭和7(1932)年

2023年9月2日土曜日

重松倉庫


一般にノコギリ屋根の工場は木造が多く、レンガの壁面は珍しい。創業当時は中央染工という捺染工場で、北側ガラス面から光をとり入れ、日中の工場内の明るさを変動が少なく均一にできることから、繊維工場などで広く採用されていた。今では冷暖房効率が悪いことなどからノコギリ屋根が新設されることは少なく、全国にあった工場も老朽化により次々と解体されている。

愛媛県松山市立花 大正13(1924)年

2023年8月26日土曜日

波止浜塩田の雁木


波止浜塩田は長谷部九兵衛が竹原で塩田の技術を学び、塩田を興したのが始まりと伝わる。現在その跡地は自動車教習所やゴルフ練習場、スーパー、住宅地などにかわり、塩田だったころの面影はほとんどないが、水路の中に堤防石垣と雁木が残る。雁木とは接岸する場所に設けた階段のことで、昭和初期までこの運河を塩や燃料石灰をのせた船が往来していたそうだ。

愛媛県今治市中堀 昭和初期?

2023年8月12日土曜日

四通橋



別子銅山の大動脈だった第四通洞を出た目の前にある足谷川を横断するためのトラス橋。この四通橋を通り、多くの鉱夫が作業に向かい鉱石が運び出された。第四通洞は別子銅山の坑内水を一括して坑外に排出する排水路としての役目も兼ねており、この四通橋を利用して山根収銅所、惣開を経て瀬戸内海へ放流されていた。

愛媛県新居浜市立川町 大正8(1919)年

2023年8月5日土曜日

八幡濱第一防空壕





太平洋戦争以前に作られた四国最初の本格的な防空壕が八幡浜市に残っている。八幡浜市では大規模な空襲はなかったものの、何度か米軍機の機銃掃射などで市民の退避に使われた。また病院の薬品庫としても利用された。戦後、壕の前に貝ボタン工場が建てられ、忘れられた存在になっていたが、平成13年に撤去され壕の入り口が再び姿を現した。現在は住民有志が協力して管理して、見学希望者に開放してくれている。戦後78年が経ち戦争遺産が風化してゆく中、次の世代に語り継ぎたい「もの言わぬ語り部」である。

愛媛県八幡浜市松本町 昭和16(1941)年