2022年11月26日土曜日

旧伊予農業銀行郡中支店


大洲藩の商港として栄えた伊予市郡中の町並みの一角に洋館が残されている。擬洋風木造建築のこの建物は旧伊予農業銀行郡中支店で、その後もさまざまな銀行を経て、昭和38年から伊予ショップガイド事務所となり、現在は市民が多目的に利用できる「郡中まち元気サロン来良夢」になっている。玄関前は木製のコリント式の柱、窓は上げ下げ式、開口部には古典様式の装飾が施されている。

愛媛県伊予市灘町 明治44(1911)年

2022年11月19日土曜日

第四通洞


輸送の合理化を図るため水平に地中深く掘られたトンネルで、明治43年に着工し大正4年に開通した。別子銅山の大動脈で4596mだったトンネルは、さらに掘り進められ昭和17年にはおよそ10000mにもなった。アーチ型の堅固なトンネル入口には住友家15代家長の住友吉左右衛門友純氏の筆による「第四通洞」の端正な文字が深々と刻まれている。マイントピア別子内にある。

愛媛県新居浜市立川町 大正4(1915)年

2022年11月12日土曜日

伊予鉄道三津駅



現在の三津駅

松山市郊外の港町・三津浜地区にある四国で最も早く明治21年に開業した駅のひとつ。旧駅舎(2代目)は昭和6年の高浜線電化と同時期に建てられた。風情ある木造駅舎だったが、駅前広場の拡張整備に伴い解体された。現在の3代目駅舎は2代目のデザインを継承して平成21年にできた。ちなみに明治28年に松山に赴任してきた夏目漱石が三津浜港から四国に上陸し、最初に汽車へ乗ったのがこの三津駅だったそうだ。

愛媛県松山市三杉町 昭和6(1931)年

2022年11月5日土曜日

中渡島腕木式潮流信号機



初代(砂場公園)

初代(サンライズ糸山)

2代目(今治港)

腕木式としては国内で最後まで現役を務め、103年にわたり潮の流れと進路を船に伝えてきた。高さ約5m、鉄のアームの両端に取り付けられた丸い赤と四角い黒の表示板が上下に動いて潮流の向きを知らせた。老朽化のため1990年に2代目と交代したが、電光掲示板などの設置が進んだため2011年度末で廃止、撤去された。初代の信号機は撤去後に砂場公園に移設されていたが現在はサンライズ糸山で、2代目は今治港で見ることができる。

大小の島が点在する来島海峡は、潮流が早い国内有数の通航の難所として知られる。潮の流れに応じて原則の右側通航から左側に変える、世界でも珍しい規則もある。隣接するレンガ造りの吏員退息所も当時のものだったが、2代目信号機とともに撤去され、現在は灯台が残るのみとなった。

愛媛県今治市吉海町 明治42(1909)年