2022年8月27日土曜日

岩松橋


建設当時は欄干は鋳鉄で装飾され、中央部にガス灯もあったらしいが、太平洋戦争中に鉄の没収で失ったそうだ。側面にはキーストーンやキャピタルの装飾があった。老朽化のため平成23年に解体され、上流に新しい岩松橋ができている。

愛媛県宇和島市津島町岩松 大正10(1921)年頃

2022年8月20日土曜日

杉野丈助顕彰碑

歩道や壁に陶板を敷き詰めた約500mの陶板の道。その散策路の途中にある陶祖ケ丘には、江戸時代に大洲藩侯の命によって、砥部産の砥石屑を用い焼成を始め、三年の歳月を経て白磁の焼成に成功した陶祖・杉野丈助の功績を讃えた顕彰碑がある。また時代ごとの陶片を埋め込んだ陶壁碑もあり、丘からは砥部町の街並みが一望できた。

愛媛県伊予郡砥部町大南 昭和17(1942)年

2022年8月14日日曜日

旧東予市の奉安殿

奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物で、戦前の学校に必ず設置されていた。戦後はGHQにより廃止され全国から姿を消したが、西条市にはその奉安殿が5つ残っている。今回は旧東予市の2つの奉安殿を紹介したい。

喜多台にある藤森荒魂神社の神明造の本殿は、壬生川小学校にあった奉安殿を取り壊す際に部落が譲り受けて移築したもの。藤森荒魂神社は毎年4月下旬から5月上旬頃に、藤の花が見頃を迎える名所だ。

もうひとつの奉安殿は北条の大気味神社の境内にある。戦後放置されていたものを譲り受け、現在は多賀乃宮として使用されている。あの饅頭でおなじみの「きざえもん狸」の話でも有名な神社でもある。

愛媛県西条市(旧東予市) 昭和10(1935)年代

2022年8月6日土曜日

松山東雲中学・高等学校正門

ミッション系の学校には不釣り合いに見える日本の城郭風の校門だが、背後にある松山城という環境にふさわしい建築をというコンセプトから、アメリカ人のJ.H.モーガンが設計を担当した。松山空襲でも当時の校内で唯一焼失を免れ、戦前の学校を記念するものとして現存している。

愛媛県松山市大街道3丁目  昭和3(1928)年