2021年10月30日土曜日

市之川鉱山千荷坑坑口

かつて世界一のアンチモン鉱山だった西条市の市之川鉱山。明治15年から30年にかけて国内のアンチモン年生産量の約半分を産出した。昭和32年に閉山したが、明治23年竣工の千荷坑(せんがこう)坑口が現存する。坑口から30~50mほど入ったところでたくさんの鉱石が採掘されたので、この名がついたそうだ。近くには市之川鉱山資料室(旧市之川小学校)があり当時の道具や輝安鉱を展示、写真やスライドで紹介している。

愛媛県西条市市之川 明治23(1890)年


2021年10月23日土曜日

旧為山堂医院

大正元年に建てられた為山堂医院という診療所で、現在は大西内科医院となっています。外観は水色の下見板張で窓の周りなどに洋風の香りが漂いますが、屋根は入母屋屋根で伝統的な和風の意匠となっています。

愛媛県四国中央市金生町 大正元(1912)年

2021年10月16日土曜日

旧宇和島警察署

宇和島市広小路に「宇和島警察署」として建てられた。 昭和28年から平成2年まで当時の南宇和郡西海町に移築され役場として使われ、平成4年に再び宇和島に戻り樺崎砲台跡そばに宇和島市歴史資料館として復元された。 復元の際の調査によると、小屋組みの合掌に隅合掌や蕪束といった工法が見られるなど、高水準の建築技術が確認された。 これは建物の格調高い外観とともに、建築史上においても注目に値するもので、西日本における擬洋風建築物は少なく、幕末から明治の宇和島の先駆性を物語る歴史的価値の高い建物であるといえる。

愛媛県宇和島市住吉町 明治17(1884)年

2021年10月9日土曜日

旧住友別子病院

住友私立病院として明治16年に別子山の目出度町に開業していたが、明治32年の大水害に伴い現在地に新築された。現存する二階建ての建物は、大正8年に玄関付近に増築した部分である。現在のポーチは簡素なものだが、当時は二階から外に出られるバルコニーがあって、ポーチ両側の四本の円柱にしっかりと支えられ、洋風建築らしさを強調していた。病院は昭和11年に王子町に新築移転し、その後は住友関連の会社の事務所として利用されたが、平成28年に老朽化のため解体された。

愛媛県新居浜市惣開町 明治34(1901)年

2021年10月2日土曜日

昭和燈

大洲神社の石段の入口には巨大な塔がそびえ立っています。昭和3年に建てられた昭和燈という灯篭で、高さは12mもあるそうです。

愛媛県大洲市大洲 昭和3(1928)年