2024年9月7日土曜日

赤レンガ通り

現在は八幡浜市に有するが、明治期には鉄鉱山や海運などで栄え、県内初の銀行や、四国初の紡績会社や電灯が点灯されるなどの歴史をもつ保内町。そんな保内町川之石地区を少し歩けば、今も日常の風景の中に赤レンガの外壁があったりして、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。赤レンガは西洋文化の象徴的な建材として取り入れられ、関東大震災までに全国的に広まった。

愛媛県八幡浜市保内町川之石 明治・大正期

2024年8月31日土曜日

安楽湯

以前紹介した永野医院の向かいにあったのが安楽湯。丸窓が特徴的な銭湯だったが、こちらも取り壊されて今はない。ちなみに近くには小松藩に招かれて藩士・領民の教育に尽くした近藤篤山の私邸の一部が近藤篤山旧邸として残り、伊予聖人の生活を今に伝えている。

愛媛県西条市小松町新屋敷 昭和初期?

2024年8月24日土曜日

鶏小島灯台

急流で有名な船折瀬戸に位置し、戦国時代には村上海賊の出城があったとされる。無人島だが終戦間際に初点灯した白灯台が現存し、瀬戸内海の西の守りとして海上交通の案内役を果たしている。ちなみに元旦にこの島に住む金鶏の声を聞くと幸せになれるという伝説が残る神秘の島でもある。

愛媛県今治市伯方町有津 昭和20(1945)年

2024年8月17日土曜日

臥龍醸造


製糸工場「旧程野製糸場繭倉庫」から染物工場や製材所事務所を経て、取り壊す予定だった赤煉瓦倉庫をリノベーションし、現在はクラフトビール醸造所「臥龍醸造」になっている。外壁の赤煉瓦や店内の壁、二階にある大きな梁などは当時のものをそのまま残している。庭には明治21年の大洲城解体の時に譲り受けたとされる銀杏木とメタセコイヤの大木がある。

愛媛県大洲市大洲 明治39(1906)年

2024年8月10日土曜日

遠登志橋



別子銅山から出る排水路橋及び人道橋として架設された。長さ48m、スパン37m、明治時代の鋼アーチ橋で当時の姿を残しているのはこの橋だけといわれている。戦後は新居浜市に寄付されたが、老朽化により平成5年にアーチ橋の補強工事を行うとともに、その上にワイヤーロープ吊り橋が架けられた。2005年に国の登録有形文化財に、2007年に別子銅山関連遺産として近代化産業遺産に選定された。

愛媛県新居浜市立川町 明治38(1905)年

2024年8月3日土曜日

今治城の橋




今治城本丸の西の角にあるのが山里櫓で、山里門と呼ばれる裏門もあり、城外へ出るにはそこから石段を下り、高麗門をくぐって狭い土橋を渡る。この橋は本来は木の橋で、敵が攻めてきたときに落とせるようになっていたそうだ。ここに大正時代の橋が架かっているのを知っているだろうか。橋名は美保喜橋?寿保喜橋?

愛媛県今治市通町 大正4(1915)年

2024年7月27日土曜日

伊予鉄道 道後温泉駅舎

道後温泉駅は明治28(1895)年に「道後」停車場として開業した。明治44(1911)年に建てられた2代目駅舎が老朽化したため、建築部材の一部を再利用し新築復元された。明治時代の洋風建築の外観が美しく、夜間はライトアップされる。

愛媛県松山市道後町 昭和61(1986)年復元